その日の晩ごはんは、ジョウイが泊まりに来てるにもかかわらず、とっても静かだった。お客さんがおじいちゃんと、ハイランド──僕らの国だ──と都市同盟の間の戦争がどうとかいう難しい話ばかりしてたし、大人が話してる間は、子供は邪魔をしたりおしゃべりしちゃいけないって決まってるからだ。その手の話は僕やナナミにとってはちんぷんかんぷんだったけど、ジョウイは、なんとなく目を輝かせて話を聞いてるみたいだった。もともと彼は、政治だの戦争だのって話を聞くのが好きなんだ。
「ジョウストン都市同盟とハイランドとの確執は、ご存じの通り長年にわたるものです。その始まりを知るものは、今はもう誰もいない」
　おじいちゃんが、重々しく言った。
「我が国ハイランドにとってありがたいことは、都市同盟がつねに都市間の争いにかまけて、こちらの領土を侵掠する余裕がないことでしょう。その名にもある通り、この国は北の高地に開けた国です。皇都ルルノイエの周辺ですら、冬は厳しく、作物は枯れやすい」
「しかし貴国には、ハルモニア神聖帝国の援助があります。今の状態ではありえないことですが、万一都市同盟が団結したとしても、そうやすやすとは攻略できないでしょう」
　僕の作った肉団子入りのミルク粥を食べながら、お客さんは、なんとなくうれしそうにおじいちゃんと話してた。きっと、一人で旅をしてるからだと思う。僕は長い旅に出たことなんてないからよくわからないけど、一人旅と言ったら、食べるのも寝るのも歩くのもずっと一人っきりだってことじゃないか。そんなのってすごく寂しくて、つらいんじゃないかと思う。
「しかし同盟も、今のままではいられないでしょうな」
　おじいちゃんが言うと、ゲランさんはうなずいた。
「南にトラン共和国、北にハルモニアの擁護を受けたハイランドがあり、その二国との戦争に加えて、都市間のみならず、各市の内部でもつねに権力抗争が行われているとあっては、国力が先細りになるのは止めようもないでしょう。争いに乗じて貴国なりトランなりが同盟領に進攻すれば、勢力図が一変することも考えられますし」
「だが、そうなればハルモニアも黙ってはいないでしょうな。属国たるハイランドが強くなりすぎるのは、かの国にとって真に望ましいことではない」
「そうなる前に、何らかの干渉を加えてくるか、さもなければ──」
　ふいに、ゲランさんは言葉を切った。なんだか自分の言おうとしたことに、気がさしたみたいだった。
「……ともあれ、噂では貴国の皇王アガレス陛下は、同盟との休戦を望んでおられるとのこと。僕のような旅人にとっては、朗報です。戦時中はどの国でも、治安維持と情報漏洩を防ぐ目的で、他国者を排除しようとしますから」
「トランから都市同盟へ入るときは、さぞ検閲が厳しかったでしょうな。同盟は先頃のトランの内乱に乗じて、一部の領土を掠め取ったばかりですし、トランと同盟とは、ハイランド以上の深い確執がありますからな」
　おじいちゃんが言うと、ゲランさんは苦笑した。年が上なんだから当たり前だけど、ジョウイの苦笑よりずっと大人っぽい苦笑だった。
「僕もそう思ったので、なるべく関所を避けて通りました。おかげで人里から遠く離れなければならなかったため、食糧には苦労しましたが──」
　それからおじいちゃんたちの話は、今年の作物の出来に変わった。なんでも都市同盟のどこかが雨が少なくて、不作だったらしい。そのせいで戦争が起こるとか起こらないとか、そんな風な話だった。
　食事が終わると、おじいちゃんとお客さんにもう一回お茶を出して、僕らは片付けをしに台所に入った。朝の下ごしらえを僕がしてる間、ジョウイがナナミと一緒にお皿を洗ってくれたんで、仕事はけっこう早く終わった。こういうとき、兄弟がいるのって便利でいいなって思う。それにナナミがいなくて僕とおじいちゃんだけだったら、この家の暮らしも半分も楽しくないと思うんだ。
　後は部屋に戻って遊ぼうと、僕らはそれぞれの湯たんぽを持って、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら廊下に出た。夜になるといっそう冷えこんできたみたいで、廊下は思わず体が震えるぐらい寒い。さっさと部屋に行こうとした僕らは、ふっと立ち止まった。廊下の隅っこ、窓があるところに、燭台を持ったゲランさんが立ってて外を見てる。
「何してるの？」
　ものおじって言葉をしらないナナミが、さっそく、とことこそばに行って話しかける。僕とジョウイが後ろからついていくと、ゲランさんは僕らを見てちょっとだけ微笑んだ。
「……外の様子を見ているんだ。雨は上がったかな、と思ってね」
「ふーん」
　つられて僕らも、びっしりと霜の下りた窓越しに外を透かしみる。真っ暗なんで目をこらした僕らは、雨がいつのまにかみぞれに変わってるのに気づいた。
「うわあ、みぞれだ。寒いはずだよねえ」
　ナナミが、さぞ嫌そうに言った。僕も同感だ。雪ならいろんな遊びができるのに、みぞれなんてただ冷たいだけだ。
　ゲランさんは、黙ったままだった。ロウソクの明かりに、頬が少しそげて見える。きっとずいぶん旅がきついんだと思う。だって今頃は、旅の商人だってどこかの街に非難して春を待つころだし──。
　そこまで考えて、僕はジョウイの言ってたことを思い出した。
　ゲランさんは、いったいどうしてこんな時期に、旅をしているんだろう。
　トランから来たって言ってたそうだけど、普通旅人は冬になったら南の方に避難するんじゃなかったっけ。どうしてわざわざ、北へ向かってるんだろう？
　何のために旅をしてるんだろう。
　たしか、何かを封印したいとか──。
「いつまでキャロにいるの？　春が来るまで？」
　ナナミがたずねると、ゲランさんは首を振った。
「明日の朝には、発とうと思う」
「そんなに早く！？」
　びっくりして、ナナミが叫んだ。僕だってちょっとびっくりした。だって、外はみぞれだし、キャロを出たら北の峠を越えるまで、ちゃんとした街なんてひとつもないし、冬の山越えは猟師だってきついって言うし──。
「どうして？　急ぎの旅なの？」
　首をかしげてナナミがたずねてる。
　ゲランさんは、意外なことでも言われたみたいに、ちょっとまばたきした。
「……そうだね」
　つぶやくみたいに、かすかに言った。
「……先を急いでるってほどじゃないけど──とにかく、できるかぎり早く次の目的地に着きたいんだ」
「えー」
　ナナミがしょんぼりした。
「旅のお話とか、いろいろ聞かせてもらおうって思ってたのに」
「ごめんよ、いつかまた会えたら、そのときにね」
　なだめるように、その人は微笑んだ。
「次の目的地って、どこですか？」
　横から口をはさんだジョウイが、ゲランさんと視線があって、ちょっと顔を赤くした。
「……さしつかえなければ──で、いいんですけど」
「もちろん、かまわないよ。次は君たちの国の首都、ルルノイエに行こうと思っている」
　その人は笑って答えてくれた。ジョウイはそれ以上何も聞かなかったけど、最初に比べればずいぶん穏やかな態度だ。きっと彼も、逃亡兵だの物乞いだのって疑いを解いたんだと思う。もともとジョウイは僕やナナミを守りたい一心で言ってるだけであって、何の悪さもしてない人を、本気で追い払おうとしてるわけじゃない。
　こういうとき、僕は、ジョウイって僕やナナミのことがほんとに好きなんだなって思う。だからちょっとうっとおしく感じるときがあっても、黙ってるんだ。だってジョウイの気持ちがとってもうれしいから。それでジョウイの気がすむんなら、いいんじゃないかって思う。
「ルルノイエかあ。遠いところに行っちゃうんだね」
　さびしそうに言ったけど、ナナミはすぐに気を取り直した。
「でもでも、同じ国の中だもんね。次はいつ来る？」
「そうだな……」
　その人は、ちょっと困ったみたいだった。
「ハルモニアまで足をのばしたいから、半年やそこらってわけにはいかないと思うけれど、いつかまた寄らせてもらうよ。ゲンカク老師にも、旅の結果をお知らせするとお約束したからね」
「うん！」
　おひさまみたいにナナミがにっこりすると、ゲランさんも、つられたみたいに笑顔になった。





　ゲランさんがお客さん用の部屋に言っちゃったんで、僕らも自分の部屋に戻った。前にジョウイがくれた古いすごろくがあって、今度遊びにきたらやってみようねって約束してたんだ。
　盤を広げ、寝床の上に輪になって座ると、僕らはさっそくすごろくを始めた。でも、遊び方を知ってるジョウイがぼんやりしてるんで、最初のうちはあんまりおもしろくなかった。
「ジョウイの番だよ！」
　ナナミが元気良く言っても、ジョウイはぼんやりしてるだけだった。唇をとがらせたナナミが、ぴしゃんとジョウイの膝をぶつ。びっくりした顔になったジョウイが、ナナミのことを、そこにいるのに今気づいたって顔で見た。
「あ──なんだい？」
「ジョウイの番だってば！　さっきから呼んでるのに、全然気づかないんだから！」
　ナナミに言われて、ジョウイはちょっと顔を赤くした。
「──ごめんよ。ちょっと考え事をしてて──」
「うん、わかってる。ゲランさんのことでしょ？」
　ずっと身をのりだして、ナナミがジョウイの顔をのぞきこんだ。
「ジョウイって、なんだかずいぶんあの人のことを気にしてるみたいだね。どうして？」
　まっすぐ聞かれて、ジョウイは苦笑した。
「気になるって言うか……、変わった人だなあとは思うけど。でも、あの人自身を気にしてるわけじゃないんだ」
「じゃあ何？」
　ナナミは追求をやめない。ジョウイはちょっと恥ずかしそうな顔になった。
「……あの人、いくつぐらいだと思う？　僕らよりそんなに年上ってわけじゃないと思うんだけど」
「十六くらいかなあ、それとも、十七くらい？」
　僕が答えると、ジョウイはうなずいた。
「それなのに、師匠と対等に、政治とか各国の情勢とかについて話していただろう。一人前の、大人みたいに」
「そうだったっけ？」
　僕とナナミは頭をひねった。カッコクノジョウセイなんて言葉自体が、僕らにとっては外国語とおんなじでわかりづらい。それにおじいちゃんとゲランさんの話は難しくって、言ってることが半分もわからなかったんだ。でも、ジョウイは頭がいいから、ちゃんと内容が理解できたのかもしれない。
「それだけじゃない。何かゲランさんには、目的とすることがあって、そのために生きているんだと思う。あのとき、その──立ち聞きしてたときに、そんなことを言ってただろう？　キャロの街にだってあの人と同じ年の人はいるけれど、そんな風に人生を考えてたりはしないと思う」
「──うん」
「そうかもね」
「ゲランさんはきっと、同年代の人よりも大人なんだと思う。だから──思ったんだ。僕もあの人くらいの年になったら、あんな風にできるかなって。なんていうか──自分の考えを持って、自分が目指す目的のためにできるかぎりの力を尽くそうとする、そんな人になれるかなってね」
「ふーん」
　僕とナナミは、感心してジョウイを見た。僕らだってゲランさんのことはすごいなあと思ったけど、ジョウイみたいに考えはしなかった。
「よくわからないけど──でも、でもね」
　ナナミがうれしそうに身を乗り出した。すごろくが傾いて、駒が僕の膝までころころと転がってくる。
「いつか私も、ゲランさんみたいに旅に出てみたいな。だってキャロの街しか知らないんだもの」
「ナナミの夢は、この道場をもっと立派にすることじゃなかったのかい？」
　笑いながらジョウイが言うと、ナナミはこっくりとうなずいた。
「もちろんそうよ。いつか私とジムスがここを継いだら、もっともっと弟子をたくさん取るような、大きな道場にするんだから。そうじゃなくて私が言ってる旅っていうのはね、ひと月とかふた月とか、いろんなところを見て回って帰ってくるだけの、そういう旅のこと。だって帰る場所があるから、旅は楽しいんだっていうじゃない？」
「ああ、なるほど」
　ジョウイが笑った。
「そういうのだったら、僕も行きたいな。君たちと一緒だったら楽しそうだもの」
　夢を見るみたいに目を細めたジョウイが、ふっと、こっちを見た。
「──ジムス、君はどう思う？」
「そうだなあ──うん」
　あいまいに、僕はうなずいた。
「面白そうだよね」
「ね、ね、そう思うでしょ？　行こうね！　絶対！」
　ナナミがはしゃいだ声を上げる。
　でも僕は、ほかのことを考えていた。
　ジョウイが言ってた、大人の意味について。
　ジョウイはとっても頭がいいけれど、燻製肉がいくらで売ってるかとか、服の繕いはどうやるのかとか、服に染みついた草の汁をどうやって取ったらいいのかなんてことは知らない。衣替えのときに入れる虫よけの薬は何がいいかとか、煙突のすすはらいのことだって知らない。そういうことを知ってるのは、僕の方だ。ジョウイが一人になったら三日も生活できないだろうけど、僕だったら、食堂の下働きでも農家の手伝いでもなんでもして生きていけると思う。
　でも、大人になるって言うのはきっと、何かを知ってたり、何かができるってだけじゃ駄目なんだろう。それくらいのことは僕にもわかる。おじいちゃんがよく言ってるけど、本当の大人は、他人に迷惑かけたりしないで、自分の足で立って歩ける人のことなんだって。そしたらば、知らない人でもさっさと家に上げちゃう僕よりも、まず話を聞いてからって思うジョウイの方が大人なのかもしれない。
「ね、ね、大きくなったら、ルルノイエに行ってみようね。だって、すっごく大きくってきれいなんでしょ？　おじいちゃんも一緒に四人で旅をしたら、きっと楽しいよ」
　目を輝かせながら、ナナミが自分の夢の話を続けてる。
「そうだね」
　ジョウイがあいづちをうち、僕も、うんとうなずいた。
　──夢。
　ずっと先の、遠い未来の話。
　ナナミが、いつも僕に言ってる。大人になったら道場を継いで、おじいちゃんには楽隠居してもらって、うんとのんびり暮らしてもらうんだって。それが、ナナミの夢なんだ。
　そしてジョウイの夢は、きっと、立派な大人になること。
　お父さんにいじめられても、お母さんがかばってくれなくても、自分の力で生きていけるようになること。それはたとえば、ゲランさんみたいに自分の力で旅をすることなのかもしれない。だから、あの人のことを気にしているのかも。
　僕自身は、あんまし将来の夢とか考えたことがないんだけど。
　このまま大人になったらきっと、ナナミと一緒に道場を継ぐんだろう。ほかにやりたいことがあるわけじゃないから、別にそれでもかまわなかった。だって人間、何かしら働かなくちゃ生きていけないわけだから。
　ただ、このまま楽しく暮らしていきたいな、と思う。
　おじいちゃんと、僕と、ナナミと、ジョウイと。
　もちろん、いつまでも──なんて無理だってことは、僕にもわかる。おじいちゃんは年寄りだから、いつかは僕らよりも先に死んじゃうだろう。ジョウイだって名家の息子だし、とっても頭がいいから、いつかはすっごく偉い人になって会えなくなっちゃうかもしれない。
　でも、できるだけ長いこと、このままでいたいと思う。
　それだけなんだ。僕が願ってるのは。





　翌朝になっても、まだみぞれは降り続いていた。氷まじりのぶつぶつした水たまりがあちこちにできてて、垣根の前の道はいかにも歩きにくそうだった。
　僕らは垣根ののところに並んで、旅立っていくゲランさんを見送った。おじいちゃんも僕たちも、せめてみぞれが止むまで待った方がいいって何度も勧めたんだけど、ゲランさんはにこにこしながら絶対引かなかった。きっと、ナナミ並に強情な人なんだと思う。
「すっかりお世話になって──」
　お礼を言ってゲランさんは、昨日よりも元気そうに微笑んだ。おじいちゃんは指につまんだ米粒を額にあててから、ゲランさんの手にかけた。道中おなかをすかせたりしませんようにって言う、旅立つ人へのおまじないだ。
「つつがない旅を、ゲラン殿」
「ありがとうございます。老師もどうか、再見の日まで壮健であられますように」
　そう言って頭を下げたゲランさんは、僕たちに背を向けて、まだ暗い朝の道を、ゆっくりと歩きだした。灰色の雨の中、だんだん遠ざかって行く後ろ姿を、僕らは黙って見送った。道の向こうに姿が消えるまで、ゲランさんは一度もふりかえらなかった。
「……行っちゃったね」
　僕がつぶやくと、ナナミが、ほうっとため息をついた。
「かっこいい人だったねえ」
　あんまりしみじみ言うんで、僕とジョウイは目をぱちくりさせた。ナナミって、男の子がどうこうとかいう話って全然したことなかったのに、もしかして、年頃ってやつなのかな。
「おじいちゃん、あの人、また来る？」
　ゲンカクおじいちゃんを見上げながらナナミが言うと、おじいちゃんは低い声で、さあな、って答えた。
「……道が合えば、会える、合わなければ、会えない。そういうものじゃな」
　ぽそり、と答えたおじいちゃんの声は、なんとなく疲れてるみたいに聞こえた。
「道が合えば、かあ──あ、でもでも」
　ふいにナナミが、にこにこした。
「だったら大丈夫だよね。だってゲランさんは昨日、帰り道には寄るって言ってたもの。ね、ジムス、ジョウイ、今度ゲランさんが来たら、もっとすごいごちそうを作ってあげて、そいでもっていろんな話を聞かせてもらおうね！」
　うん、と僕とジョウイはうなずいた。
「楽しみだよね。半年は無理だって言ってたけど、一年くらいしたら会えるかな？」
　ナナミがうれしそうに、話し続ける。
「さ、家に入ろう」
　気を取り直したように言って、おじいちゃんは急に厳しい目で僕らを見た。
「お前たち、昨日は客人が来ていたから多めに見たが、雨だからと言って稽古を怠ってはならんぞ。家の仕事が済んだら道場で型を見てあげるから、着替えてきなさい」
　はあい、と僕らは答えて、すっかり冷えた体を押し付けあうみたいにして、我先に家に入っていった。



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